本願寺函館別院について

【新生事業推進計画】平成25年3月完成予定

新境内案内図 本堂
今までより大きくなり光が多く入るようになります。
出入口や廊下など全面がバリアフリーとなります。
エレベーターが設置されます。
靴を脱がずに土足でお参りできます。
参拝の皆様がお休みできる談話スペース、
 多目的に使用できる大・中・小の会議室などが設けられます。
2階は記念納骨堂が設置されます。
納骨堂
納骨堂の1階と3階が新本堂と連結され
 今までよりお参りがしやすくなります。
文化会館
玄関前を改修します。
 本堂までの通路ができて移動しやすくなります。
車路
正面玄関前はスロープが作られ車の乗り入れが可能になります。

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新生事業推進計画の概要

 浄土真宗本願寺派の北海道における開教は、松前藩の宗教政策によって、長きに亘り寺院の建立や布教活動が禁止されていましたが、漸く本願寺第20代宗主広如上人のとき、1857(安政4)年10月24日、江戸幕府の公許によって、いよいよその歩みを進めることとなりました。まさにこの日が北海道開教の日であるとともに道内最初の別院となる「本願寺函館別院」の歴史が始まる日でもありました。

 1860(万延元)年には、開教活動に従事していた堀川乗経師の自坊の名称を使用した「願乗寺休泊所」を「本山掛所」とすることについて幕府より許可され、さらには、これを「本願寺掛所」と称しました。そして、ついに1877(明治10)年には、明治政府の許可を得て、「本願寺函館別院」と公称することとなったのであります。

 このような函館別院の多難な歴史は、一方では「火難の歴史」でもありました。先ず、1872(明治5)年に建立の本堂は翌年焼失し、1877(明治10)年に再建されました。しかし、その本堂も1899(明治32)年の火災で焼失し、1907(明治40)年には、書院、庫裏などのすべてが灰塵に帰しました。その後、これらの経験をふまえて、同年には不燃質の煉瓦建築による本堂が再建されましたが、1934(昭和9)年の大火によって一切の建物を焼失し、長く仮本堂の時代が続きました。

 1950(昭和25)年9月12日、本願寺第23代宗主勝如上人より「函館別院復興に際しての消息」が発布され、これを契機として崇敬寺院住職、僧侶、別院門信徒が一丸となり、同年に旧本堂が完成しました。
 また、その他の境内建物では、1982(昭和57)年には納骨堂が、1984(昭和59)年には庫裏である西別院文化会館が、それぞれ竣工しています。

 なお、境内地内には学校法人函館龍谷学園・龍谷幼稚園が隣接され、浄土真宗のみ教えに基づく「まことの保育」が行われています。

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記念納骨壇