本願寺函館別院について

本願寺函館別院の歴史

堀川
願乗寺川(堀川)

 西本願寺の北海道進出は、蓮如上人(第8代)の頃と伝えられるが、松前藩は本願寺派の寺院開設を許さず、安政4年(1857)〜幕府が直接本願寺派開教の許可を与えるまで200年もの空白が続いた。しかし、この時代にさえ監視の目を避けての伝道活動(江差の「船底説教」)などがあった。

 こうした、幕府の多事多難な時代、幕府の蝦夷地方開発方針に合わせ協力するという線で、開教の糸口をつかむ事となる。広如上人(第20代)の御代である。その代表的な一人に青森から青雲の志を抱いて渡道し北地開教に生涯をかけた堀川乗経師がいる。

堀川 乗経
堀川 乗経

 師は開教活動とともに道開拓の上でも大きな業績を残している。本山の支援を得て広く対馬、加賀、能登、越前から門信徒370余人を移住させ開墾に従事し、(請地55万坪)又、近郊の亀田川を堰き止めて水害を防ぐ一方、水不足に悩む住民に配給する治水工事を手掛け、わずか1年足らずで疎水道の貫通を成し遂げた。その距離6キロメートル、橋梁8ヶ所、工費7300余両と言われ、これが函館市街地発展の基となった。

 この人工の川は願乗寺川とも堀川とも呼ばれ、現在の堀川町の町名として残る。

 広如上人は寺院建立の公許を得るために、たびたび交渉せしめ、遂に安政4年(1857)10月24日、公許を得る。
この日を本願寺派の北海道開教の日とする。

 別院公称は明治10年(1877)。思うに、広如上人はじめ多くの先覚者たちの努力がここに実を結び、
以後全道に念仏の喜びの輪が急速に広がっていく。


沿 革(年表)

文政 7年(1824年) 堀川乗経 青森県川内村で生まれる。 堂宇-明治初期
明治初期
堂宇-明治後期
明治後期
昭和初期
昭和
昭和初期
昭和〜平成
昭和初期
平成25年3月竣工
天保12年(1841年) 堀川乗経 北海道へ渡る(17才)
嘉永 7年(1854年) 函館開港
安政 4年(1857年) 「願乗寺休泊所」として建てられる
安政 6年(1859年) 願乗寺川(堀川)工事・着工・完成
万延 元年(1860年) 「本願寺掛所」として認められる
元治 元年(1864年) 五稜郭完成
明治 元年(1868年) 函館戦争兵火にて本堂類焼
明治 5年(1872年) 本堂落成
明治 6年(1873年) 大火(1,314戸焼失)本堂類焼
明治10年(1877年) 「本願寺函館別院」と公称を得る
明治11年(1878年) 本堂完成
堀川乗経 逝去(55才)
明治22年(1889年) 願乗寺川 埋め立てられ道路(現 高砂通)となる
明治32年(1899年) 大火(2,494戸焼失)
本堂類焼・再興
明治40年(1907年) 大火(1万2,390戸焼失)
別院すべて類焼・再興
大正11年(1923年) 函館区 市政施行
昭和 4年(1929年) 駒ヶ岳大噴火
昭和 9年(1934年) 函館大火(2万4,186戸焼失)
別院すべて類焼・再興
昭和10年(1935年) 開港記念日制定(第1回函館港まつり)
昭和25年(1950年) 17年ぶりに本堂再興
昭和57年(1982年) 納骨堂完成
昭和59年(1984年) 西別院文化会館完成
平成25年(2013年) 新生事業推進計画・本堂新築
平成26年(2014年) 第24代即如御門主御親修
親鸞聖人750回大遠忌法要
本堂落成慶讃法要
現在に至る

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